香の歴史 ①
香が日本に伝えられたのは飛鳥時代、日本書紀には、595年に淡路島に香木が漂着したとされています。推古天皇、聖徳太子の時代です。
仏教が日本に伝わったのは、538年あるいは552年、百済の聖明王から、欽明天皇に釈迦仏の金銅像一体と仏具の旗、天蓋、経論が贈られたとされています。
推古天皇は、607年に小野妹子を隋に遣わされています。
奈良時代(710~794年)の香木としてとくに知られているのが、正倉院に所蔵されている黄塾香・蘭奢待です。時の権力者に重宝され、足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った旨の付箋がつけられています。
754年には唐より鑑真和上が渡来されて、仏教の戒律と共に香の専門知識を伝えられました。744年の第二回渡航のために準備された物品の中に、薫物(練香)に必要なもの一切があったとされています。香配合の知識や、香薬の製法が伝えられました。
香木類は、東南アジアが原産地であり、日本に香木類が伝わるためには大陸との交流が必要であり、遣隋使、遣唐使をはじめとする大陸との交流によって、香木類は日本に伝わるようになりました。
様々な香料は聖徳太子の時代より伝わっていたのですが、その使い方が改めて教えられたのがこの時代です。
当時の貴族たちは、その配合を学び、仏のための供香だけでなく、自らの居住空間で楽しむようになり、香の文化は幅を広げ始めます。
平安時代(794年~12世紀末)になると空薫物(そらだきもの)という言葉が使われるようになります。辞書には「どこからとも知れず香ってくるように香りを焚くこと」「室内や衣服、頭髪などに香りをたきしめること」とあります。
平安時代に宮中で流行したのが、様々なものを比較して優劣を競う、合わせものです。歌合」(うたあわせ)、「絵合」(えあわせ)等と共に、配合した香を持ち寄り比べ合わせる「薫物合」(たきものあわせ)もしばしば楽しまれたようです。
空薫物は、貴族文化そのものであり、貴族が身につけるべき教養でもありました。
奈良時代は中国の影響の強い唐風文化でしたが、平安時代の中期(900年以降)から後期にかけては、唐風文化を理解しながらも、日本の風土や生活感情を踏まえた国風文化に移行します。古今和歌集や、物語では竹取物語、伊勢物語、源氏物語、日記では土佐日記、枕草子などが書かれた時代です。
この時代の代表的な香の調合が「六種の薫物」(むくさのたきもの)と呼ばれるものでした。
- 梅花(ばいか) 梅の花の香り 春
- 荷葉(かよう) 蓮の花の香り 夏
- 侍従(じじゅう) なまめかしい 変
- 菊花(きっか) 身に染みる 秋
- 落ち葉(おちば) もののあわれ 冬
- 黒方(くろぼう) 深く懐かしい 賀
香は、仏の荘厳にとどまらず、貴族たちの暮らしのための香りへと姿を変えていきました。